大切にすべき人達を忘れそうになったときに読むブログ
私は整理整頓が苦手だ。文字通りの意味でも、頭の整理整頓も。
私は圧倒的右脳派らしいが、右脳派は整理整頓が苦手なんだって。だから仕方がないという事にしておきます。
って感じで通常はあまりネガティブに受け取らないようにしているが、最近はしっかりと向き合うことにしている。そういうタイミングだし、成長したいという熱がある。
自分の直感には割と信頼しているが、言葉で表せないとなんだか頼りない。人にも伝わらないし、それがいつももどかしくて、勿体ないなあと思う。だから学ぶ。このブログだって、その練習の一つ。
自分がこんなんだから、口下手な人や言葉に詰まりやすい人には理解があり同情もしやすいが、そうではない人も沢山いるのだと、大人になってからヒシヒシと感じる。
そしてそうではない人達は大抵、そんな口下手な相手を、馬鹿にする。
ここで1つ、「頭の整理が出来て伝えるのが得意な人は、理解がない」と誤解してはいけない。話すのが得意でも、口下手な人の話を同じ目線に立って聞いてくれる人は沢山いる。「同情が出来ない人」が、馬鹿にする。
…やっぱり言語化ってムツカシイな。まるで話が上手くて口下手な人の理解が出来ない人のことを批判してるみたいになっちゃった。理解「できない」と表現してる時点で責めてるみたい。そうではないんだけども。
責めてるわけでも間違ってると言いたいわけでもなくて、単に私がそれをあまり好きではないだけなのだ。
人は、歯切れが悪くて何を言っているのかよくわからない人の事を、頭が悪いと感じる。そして、人は一度馬鹿だと思ったら、その人を相手にしなくなる。
私はなるべく、そういう人にはなりたくないのだ。そういう「無視」みたいなものは、とても嫌い。
誰かが何かを伝えようとしてるのが、いまいちわかりにくかったとき、「なんかゴチャゴチャ言ってるな。頭悪いな」と思うのと、「どういう事が言いたいのかな。こういう事かな」と”聞く”のでは、まったく逆の姿勢だと言っていい。私は後者でありたい。
私のこの文章はヘタかもしれないけど、わかる人にはわかるんじゃないかな。
わからない場合でも、「なんかようわからんどうでも良い文章ばかりだな」と思う人と、「私には共感しにくい内容だったけど、どういう世界でものを見てる人なんだろう」と思う人とがいる。私は、後者のように思ってくれる人たちを大切にしたい。
わかりやすく伝える力は私にとって重要かつ必要だと思うので、その為の努力をしていこうと思います。
ただ、劣等感で大切にすべきものを見失わないようにしたいな。
えり
P.S.
歌舞伎揚って美味しい…