留学をした私の考えがちな事

留学をしなかった時の私と、した後の私

考えることや感じることにやはり変化があるので、忘れないうちにその変化を記しておこうと思います。あんな大金かけて大変な思いしたんだから!それで得たものだから。


この間ヘアサロンに行きました。お洒落で居心地も良くて、素敵なスタッフさんがいて結果にも大満足。また行く。表参道のMilk marielってとこです。メンズにも人気らしい。宣伝しとく。


ヘアサロン業界では、きっと誰でも知ってる「外国人風」って言葉がある。そこに滅茶苦茶違和感を感じるというのが、変化の一つ。


日本でいうこういう類の外国人っていうのは、つまり色素の薄い髪色を持つ白人のこと。

外国人って、中国人もそうなんだけどな。アラブ系の人もアフリカンも、日本人以外はみんな。


美容師さん達とは私が留学に行ってた話で盛り上がったけど、外人てかっこいいって思います?て聞かれて、私の頭の中に出てきた外人の顔は、みんな肌の色も髪も異なり、国籍や人種のルーツも違う人達。中華系イギリス人のシャーロット、お世話になったジャマイカ二世のマックス、ケバブ屋のおっちゃん。


まあ、そこでいう外人が白人であることは明白なので(目の前にはファッション誌のfudge)、そんな事に突っかからず普通に会話は進むけれど、

留学をしなければ、同じように外人という単語を使っていたように思います。


これを私たち目線に例えるならば、海外でアジア人顔が流行ったらそれは「ストレートロングの黒髪に切れ長の一重、低めの鼻」を意味することになるでしょう。

しかも外国人風よりも狭義だからまだマシかも?実際、タイやフィリピンなんかも全然雰囲気違うけどアジア…。トルコってアジア?


日本(自分)がいかに欧米主義(白人主義)なのかに気づいた。私は雑誌のFUDGEが大好き。モデルは必ずヨーロッパ系の白人。それはいいとして、逆にアフリカ系の人やアラブ系の人がファッション誌に登場してるのを見たことがないと思った。わざわざ出すのはめっちゃ違うけど、そう、出す事になれば「わざわざ」という言葉がついてしまうくらい、もうそれは不自然な事なのだ。白人がモデルというのが、自然ということに、私たちの文化では成り立っている。


私が何を一番学んだかというと、それは、こういう偏見が悪だとかそういうことでは全くなくて、

気づきというのは、生身の肌で感じなければ生まれないのだな、ということです。


こういう隠れた偏見話というのは、ジェンダー論や外国人問題とかが注目されてダイバーシティが広がる今ツイッターとかで散々騒がれてるはずなのだ実際。

でも、自分がこの目でそれを目の当たりにしなければ、全くしっくりこないのだ。


私は、自分が外国人として一年生きてやっとわかったし、中華系イギリス人の友達が行く店先々で「何人?」と聞かれているのを目の当たりにしてやっと違和感を得たのだ。


世間では、何かを主張している人がたくさんいる。なんの話?って思ったり、それ必要?て思ったりする。でも、そう思うことって、自分がなんの関わりも持たず生きてきた事を急に騒ぎ立てられたから、なんだよ、て反射的に思ってしまうだけなのかもしれない。